天皇の許されざる大罪

昭和天皇は原爆投下の首謀者だという事を全国民が知ったら、日本の今ある姿は崩壊する事でしょう。

 

広島・長崎に落とされた原爆。

今回は広島の原爆についてお話したいと思います。

 

1945年8月、アメリカ軍のB29戦闘機エノラ・ゲイから、広島の街に落とされたという事になっています。

ところが、この日この原爆を空から目撃していた人物がいました。

元第343海軍航空隊少尉だった本田稔氏は、その日原爆の物凄い爆発は見たが、その瞬間の広島の空に飛行機は見ていないと言う。

当日は雲一つない青空だったという事です。

戦争の真っ只中、飛行機乗りが空を飛んでいる時に、広島上空を飛んでいる戦闘機の存在を見逃す事があるでしょうか。

 

画像が削除されたようです。現在下記から本田稔氏の証言がご覧になれます。

https://twitter.com/Tevtin/status/1133353619900620800

 

 

この証言から、アメリカのエノラ・ゲイが原爆を広島の街に投下させた訳ではないという事実が浮かび上がってきます。

アメリカの爆撃機により広島に落とされたと思わされてきた原爆は、実は空から投下されたものでないとしたら…。

それは地上での爆発という事になります。

地上での爆発となると、結論は一つ。

敵側ではない誰かが、地上で起爆させた…。

 

地上での爆発である事を違った角度からも立証していきたいと思います。

広島に原爆が落とされた2分後の写真が掲載されているヒロシマ新聞。

http://www.hiroshima-shinbun.com/citizen/cit1945080607.html

このヒロシマ新聞に掲載されている写真は修正加工されたもので、修正前の実際の写真は下の画像です。

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、地上からモクモクときのこ雲が立ち上っているように見えます。

 

 

そして、原爆による高熱の爆発の際に、影となって焼き付いた跡の写真が、爆発が上空からではなく、地上からのものである事を物語っています。

上空からのものでしたら影は地面に映るはずで、このように横に影は映るはずがありません。

 

同じく植物の影です。

 

 

更に、昭和天皇は原爆が広島、長崎を襲う事も知っていましたし、驚くことに投下先に広島を選んだのは昭和天皇自身だというのです。

そして、実は日本はアメリカより先に原爆実験に成功しています。

1940年世界初の核実験をネイチャーに発表し、第二次世界大戦中に原爆の実物試験に成功しています。

ネイチャー

アトランタコンスティチューション紙
日本は原爆を開発した。第二次世界大戦中、実物試験に成功。ロシアが科学者達をつかんだ。

 

そう、日本は原爆を作っていたのです。

更に、当時アメリカではエノラ・ゲイから投下されたことになっているような原爆は存在しなかったようです。

アインシュタインがルーズベルト大統領へ宛てた手紙の中の一文にある、「新しいタイプの非常に強力な爆弾は、飛行機での輸送には、重すぎることも明らかになるでしょう」という内容からも、第二次大戦当時、B29などの爆撃機に搭載できるようなサイズの原爆を製造できていません。

※結局のところ、放射能被害のある原爆自体も存在しないのですが…話がややこしくなるのでここでは割愛し、このページの最後にリンクをはっておきますね。

 

では次に、なぜ昭和天皇は広島を選んだのか。

二・二六事件などもあった事から、終戦後陸軍の反乱を恐れていた昭和天皇は、この広島で陸軍反乱分子を壊滅させるため、九州に上陸する事が予測されると表向きの理由を付け、広島に陸軍を集結させ、そこで原爆を爆発させ殺傷したのです。

その時広島には、第二総軍司令部をはじめとして、中国軍管区司令部、広島連隊区司令部、広島地区司令部などがあり、広島に駐屯した特設警備隊は十部隊、中国憲兵隊関連が司令部他三部隊、第五十九軍には軍司令部、第二二四師団司令部など十一部隊(大半が編成中)、第一五四師団では三部隊が編成中。高射砲第三師団では独立高射砲第二十二大隊本部など四部隊。暁部隊として知られる船舶司令部では、船舶砲兵団司令部、第一船舶輸送司令部など二十一部隊があった。さらに広島地区鉄道司令部、広島陸軍兵器補給廠、広島陸軍被服支廠、広島陸軍糧秣給廠などがあり、市民が郊外に疎開していく中、大勢の軍人、軍属が流入し、広島はまさに「軍都」の実質を備え、盛んに部隊編成を行っていたので正確な数字は分からないが、一説には軍関係者は八万人にものぼっていたという。

その八万人にものぼる軍人が8月6日に殆ど被爆死したのです。

しかも、8月6日午前8時に必ず会議に出席するように、九州から大阪に至る各司令官に通達を出していた。

ちなみに、この日時を指定したのも天皇裕仁です。

実際には会議開始時刻は8時から9時に変更されたのだが、上級指揮官達も爆死。

 

軍幹部は日本の降伏を受け入れるつもりはなかった。

もし降伏を受け入れるようなことあれば、東京へ攻め上り軍首脳を排除、天皇を擁して最後まで戦う覚悟でいた。

降伏が天皇の命令であっても!という状況だったようです。

天皇は自分の利益、保身しか考えていませんでした。

自分の利益の為に戦争を起こし、戦争責任を負わされない様に終戦の為の工作をしていた天皇裕仁は、自分の予定通りに事を行う為に、邪魔者たちを一瞬にして殺したという事です。

そのために、広島に陸軍の大司令部を作ったのです。

 

天皇裕仁は、軍幹部の言いなりになっていた弱いおどおどした人物ではなく、極悪非道、悪魔のような人物です。

戦争を仕掛けたのも天皇、戦争で儲けていたのも天皇。

戦後のあの映像の姿は全て演技です。

 

原爆が爆発した直後、天皇の弟の高松宮が総裁だった日本赤十字は、被爆者達を治療もせずに放っておき、海外支援も断っている。

なぜ断る必要があるのでしょうか。

爆弾を落とされ甚大な被害があったのなら、通常の心理だと、支援に行きます!と言ってくれているのを断る事など考えられません。

原爆自体、自分達が意図を持って行った事だったからに他なりません。

何らか現場の証拠隠滅が必要だったのかもしれません。

人命尊重することも無く、被害を拡大させることによって、原爆は恐ろしい兵器だという事の証明も必要だったのかもしれません。。

海外からの支援により、原爆被害がただの熱傷のみだという情報が流れてはいけないからだったのではないでしょうか。

それはそれは恐ろしく、被曝二世、三世と被害が及ぶものでないといけないからです。

ABCC(原爆傷害調査委員会)は16万人の被爆者を選び、2年間で死亡した7500体解剖し、いまだ原爆被害者母集団12万人に対し、2年に1度の健康診断をし、8万人の被爆二世、2800人の胎内被爆者が調査対象になっているそうです。

調査結果については下記資料のように、とても曖昧です。

どのようにでも誘導できるものです。

 

原爆(放射能)が危険だという事にしておけば、儲かるのは特許を持つ天皇。

なぜなら、原爆が一番殺傷力が高く、その世代だけでなく後世までも人的被害が及ぶ恐ろしい兵器だという事になれば、全世界の国々がその兵器を保有しようとします。

その恐ろしい兵器が恐ろしく高額な物であればあるほど天皇が儲かるのです。

世界初の核実験をネイチャーに発表していた日本。

日本のトップ、天皇の指示の元行われていた開発ですよね。

原爆の被害は日本のみで、原発事故も日本で起こっていますね…。

なぜでしょうか。

不思議ですね~。

 

天皇、皇族については、まだまだ続きます!

 

原爆・放射能についての情報は全くのデタラメですので!

このリンク記事をお読み下さい!

RAPT×読者対談〈第100弾〉原爆はただのマグネシウム爆弾。石油の原料もただの海水。トヨタの水素自動車もただのパクリ。

 

 

参考記事

http://ri4jp.web.fc2.com/page39.html

https://kongojia.exblog.jp/23982673/

http://home.f07.itscom.net/fujix/kEinshutain2.htm

http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html

https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/04/news-august-6_n_7930770.html

原爆の秘密「国内篇」:昭和天皇は知っていた 鬼塚英昭著

 

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